西宮北口駅周辺の再開発といえば、何といっても旧西宮球場を再開発して誕生した「阪急西宮ガーデンズ」が有名だろう。西日本最大規模とも言われるこの施設の広さには何回行っても驚かされるばかりである。
そんな西宮北口周辺には、阪急西宮ガーデンズ以外にも多数の再開発ビルが並んでおり、その中でも先駆けとなっているのが、駅の北東に位置する「アクタ西宮」だ。今回は、そんな西宮北口地区における再開発の先駆け「アクタ西宮」について、その様子を見ていくこととしよう。
西宮北口再開発の先駆け「アクタ西宮」
アクタ西宮は、阪急西宮北口駅北東地区に位置する再開発ビル。西宮市の再開発事業「西宮北口駅北東地区震災復興第二種市街地再開発事業」により2001(平成13)年4月20日に開業した。「アクタ」という名称は「Active Town」から来ており、このあたりは神戸市の震災復興地区「HAT神戸(=Happy Active Town)」と似たものが見られる。偶然・・・なのかな(笑)
元々震災前から第一種市街地再開発事業による再開発を模索していたというこの西宮北口駅北東地区。借地・借家が多く、再開発計画が暗礁に乗りかけていた時期に震災が発生。震災復興事業を優先した結果、当初とは違う第二種の再開発事業を進めるという方針が固まり、仮設店舗街「ポンテリカ北口」を経た上で再開発ビルが建設、現在に至るという経緯となっている。
この再開発の経緯からか、再開発を経る中で地元地権者の多くが他の地区へと転出。震災前に並んでいた230もの店舗のうち、地権者の中でアクタ西宮に残ったのはわずか31人に留まり、その多くも開業から現在に至るまでに廃業・移転が行われるなど、震災前とはもはや別の様相を呈しているのが現状のようだ。設計事務所いわく、アクタ西宮の設計は「土地の持つ記憶の継承」を意図しているようですが・・・。
そんなアクタ西宮についてだが、その現在の様子は一体どうなっているのだろうか。ここからは、アクタ西宮の外観・内部の様子について見ていくこととする。
美しい景色の広がる内部
アクタ西宮の概要と歴史について見たところで、中の様子を見ていくことにしましょう。建物は東館と西館の2棟で、双方ともにB2~18Fの20フロアで構成。一見すると同じような建物が2つ並んでいるかのように見えるが、実際は西館(左)が延べ床面積52,670㎡、東館(右)が延べ床面積63,050㎡と、かなりの差があるのが面白い。
2023年訪問時のフロアガイドはこのような状況(最新のフロアガイドはコチラからどうぞ)。設計当初から西館5F・東館5/6Fが公共施設、西館3Fが商業施設と公共施設のハイブリッド構成、それ以外の下層階は全て商業エリアという形となっており、開業から20年以上が経過した現在に至るまでその形が継続されている。この手の再開発ビルは設計から大きく変更の入ることが多いだけに、非常に安定している施設といえるだろう。
先述した「阪急西宮ガーデンズ」の開業以降、苦境が報じられていることも多かったこのアクタ西宮。しかし、実際に訪問してみると、苦境とは思えないほど多くの人々が買い物を楽しんでおり、苦境どころか「混雑」という言葉がよく似合っていた。同じく苦境を報じられていたJR西宮駅前の「フレンテ西宮」とは大きな違いだ。
館内をくまなく回っていくが、こちらも人人人。核テナントとして「無印良品」「コープこうべ」などが入っているこのアクタ西宮だが、それらの店舗に限らず多くの店舗にくまなく人が入っており、非常に活気のある景色が広がっていた。ターミナル駅の駅前というその立地の良さもありますが、超がつくほどの大型商業施設が向かいにある中でこの健闘ぶり。相当頑張ってます。
館内には図書館ももちろん完備。午後8時までというその営業時間の長さが非常に便利ですね。うらやましい限りです。
とはいえ、先ほどのテナント一覧を見てもらえれば分かる通り、館内のテナントは全体的にチェーン店がメインとなってしまっており、震災前に残っていた「地元の人々が経営する地元密着のお店」という雰囲気はもはや残っていないのも実情。開業から20年以上という時間が経過したこと、阪急西宮ガーデンズ開業で人の流れが変わってしまったこと、度重なる周辺地域の再開発により住民層が従前とは大きく変化したこと、様々な理由が考察されるが、そんな単純な話でもないのだろうなとも感じてしまう。
アクタ西宮側も地元の方々にはきちんと配慮しているようで、竣工記念誌を見ても
商業施設
西館は、中・広域からの集客を狙い駅からのお客様も施設へと導く「都市商業」、東館は従来から地元に密着した「市場」感覚や地元商圏を意識した「生活商業」で構成されています。
という記載があるのですが・・・。商業施設の運営というのはそう簡単にはいかないようですね。