愛知県豊田市は、世界にその名を轟かす超有名自動車メーカー「トヨタ自動車」の本社がある土地として有名だが、地理的側面からも名古屋市に次ぐ愛知県下第二の都市として大きな存在感を見せている。その人口は岐阜県最大の都市である岐阜市を上回るというから驚きだ。
そんな豊田市内には大手百貨店「そごう」がかつて出店しており、そのそごう亡き後に入った百貨店ですら、2021年9月末を持って閉店の憂き目に遭うのだという。今回は、そんな豊田市内にお店を構えていた「豊田そごう」、及びその後継として出店し、2021年9月末をもって営業を終える「松坂屋豊田店」について、どのような歴史をたどってきたのか、そして閉店を迎える今どのような状態にあるのかについて書いていこうと思う。
そごう初の東海進出「豊田そごう」、そしてその後継「松坂屋豊田店」、その歴史
愛知県豊田市に「豊田そごう」が開業したのは1988年のことだ。そごうグループ21番目の店舗として、名鉄豊田市駅西口、愛知環状鉄道(当時はJR)新豊田駅東口とに挟まれる再開発エリアに出店した。当初はA館(上の写真右)の1~9F、B館(上の写真左)の4~11Fに出店しており、中京圏でも屈指の規模を誇る百貨店として一定の地位を占めていたという。
しかし、そごうの経営悪化とともにこの豊田そごうの経営も行き詰まり、1997年にはB館を専門館「t-face」に変更、そごうはA館のみの経営となってしまう。そして2000年のそごう破産とともにこの豊田そごうも閉店ということになってしまった。
そんな豊田そごうの後継として出店したのが「松坂屋豊田店」である。豊田そごうが閉店した翌年・2001年に出店したこの松坂屋豊田店は、旧豊田そごうの経営状況を踏まえ、そごうが売場を圧縮した1997年~2000年の頃よりもさらに売場を削り、A館の1~6Fのみでの運営へと変更、人口40万人都市に見合う百貨店へと見直しを進めていった。
とはいえ、ここは中京都市圏。名古屋まで自動車で約40分、鉄道でも1時間を切る距離にあるこの松坂屋豊田店は出店当初から苦戦し、お店を出したは良いものの、その実態は当初から赤字続き。松坂屋名古屋店の分店化など様々な経営合理化を図ったものの、2021年9月30日に閉店という結果を迎えてしまうこととなってしまった。
閉店を控える「松坂屋豊田店」とそごうの面影残る今
さて、ここからは早速豊田そごう、もとい松坂屋豊田店の店内へと入っていくとしよう。松坂屋豊田店の正面入口は名鉄豊田市駅と愛知環状鉄道新豊田駅とを結ぶペデストリアンデッキの間に位置しており、2Fがメイン入口、デパ地下はなく1Fが食品売り場という構成になっている。しかしこの大理石、やっぱりそごうなんだよな。さすがに奈良そごう(現:ミ・ナーラ)には敵わないですが。
松坂屋豊田店・専門店街「T-FACE」のフロアガイドは上のようになっている。先ほども書いた通り、松坂屋豊田店はA館の1~6Fのみの出店となっており(上の写真青色)、全体的に専門店街が大半を占めるという現代のトレンドに沿った店舗構成だ。しかし、ちゃんと
そごうが撤退した結果、お店が入らずすっかすかな姿を晒しているどっかの元百貨店とは大違いだ。まあこちらも三越が入るだけまだマシといえばマシですが。
内部では既に閉店セールが始まっており、それなりにお客さんが入っていた。しかしあくまで「それなり」だ。百貨店の商品が非常に安いということで、通常なら非常に多くの人でにぎわうこの閉店セールだが、この松坂屋豊田店ではその人出も控えめで、まるで閉店前とは思えないほど寂しげな時間が広がっていた。
ちなみに松坂屋豊田店のあるT-FACEのA館には専門店も入居しているのだが、こちらもお客さんは少なく、静かな時間が流れていた。こりゃ残念ながら閉店もするわな・・・。
建物の端へと行き、階段の前へとやってきた。やはりここはそごうだ。少々無駄とも思えるほどに広く、赤い塗装で覆われた階段、
そして6F、8FにあるA館とB館とを結ぶ連絡通路上にある、赤い手すりの目立つムービングウォーク。ちなみにこのムービングウォークは1988年当時日本最長の動く歩道として整備されたものなのだそうだ。ついでに言うと駅前のペデストリアンデッキも日本最大(この辺の話は「そごう さらに壮大なる未来へ」という本に詳しく書かれている)。バブル景気に沸く当時の日本経済だが、一地方都市であるこの豊田市にこのようなものを作ってしまうあたり、当時のそごうという企業の恐ろしさがうかがえる。
松坂屋豊田店の入っているA館を抜け、専門店のみが入るB館へと入っていこう。こちらもかつては豊田そごうとして入居していたが、現在では全て撤退、今は普通のテナントビルとなっている。
B館の中へと入っていく。もともと専門店が入っている1~3Fに関しては完全にそごうとは違う姿を見せており、百貨店らしくない様相を呈している。
しかしそれも上層階に行くと一変し、いかにも百貨店らしい豪華な姿を晒している。B館の8F・9Fにあるレストラン街に至っては広い吹き抜けも用意され、その豪華さに華を添えている。ちゃんとレストランも営業しているし、このあたりはさすがに人口40万人を誇る都市だ。そういえば同じ人口40万人を誇る都市なのにレストラン街が「うどんのフロア」になってしまった元そごうが高松にはあるわけですが・・・。
専門店街としてそれなりの成功を収めているこの豊田市駅前の建物だが、ここはあくまでもともとそごうだった場所だ。、そごうの特徴である「回転展望レストラン」が作られ(今は動いていないが)、入口横の壁は大理石で覆われている。そしてその大理石で覆われた場所には「ユザワヤ」に「マツモトキヨシ」の宣伝広告・・・。なんだか味気ないですね。
ペデストリアンデッキから2棟のビルを見上げる。数奇な運命をたどってきた元・豊田そごうことこのT-FACEdが、このご立派な姿は今も健在だ。この外観が完成した際、当時のそごうの社長である水島廣雄氏は「パリの凱旋門を思わせる日本で初めての格調高いデザイン」であると自慢したそうだが、確かに実に立派な門構えだ。どこがパリの凱旋門なのか、正直取材班は全く理解できませんでしたが・・・。