高槻といえばJRの高槻に何もかもが集中してしまっている印象を受けるが、阪急電車の高槻市があることも忘れてはいけない。梅田から20分少々と、JRに比べるとやや遅い印象を受けるが、それでも大阪や京都の中心地に1本で行けることもあって多くの人々で賑わいを見せている。
そんな阪急高槻市駅の周辺には多数の商店街が今に至るまで残されており、その中のひとつ「城北通商店街」は「再開発→断念→店舗撤退→反社会的勢力のまん延→安全・安心に向けて・・・」という少々特殊な経緯を持っていることで知られている。今回は、そんな事情を抱えた商店街、「城北通商店街」について、その一風変わった歴史とその現状について見ていくとしよう。
再開発を諦めました「城北通商店街」
城北通商店街は、阪急高槻市駅の南側に位置する商店街だ。「しろきたどおり」ではなく「じょうほくどおり」と読む。大阪市には「城北公園通(しろきたこうえんどおり)」があるので少々紛らわしい(笑)
「城北」というその名前から分かる通り、もともとこのエリアの南側には高槻城なる城が建てられており、その経緯や高槻市駅に近い立地もあって市内でも屈指の繁華街として賑わいを見せていたという。
ところが、商店街内の通路があまりに狭かったことやバブル崩壊後の経済環境の悪化により、空き店舗が続出。1996(平成8)年には市街地再開発準備組合が設立され、再開発を行うかどうかを協議することとなった。しかし、その再開発も結局は行われないままとなってしまっており、駅に近い場所に空き店舗が大量発生→そこに風俗店などの店舗が入居→治安悪化 という非常にマズい状態に陥っていたという。
もちろん商店街組合側も手をこまねいているなどということはなく、地元青年団によって様々な「安心・安全な商店街をつくる」運動が展開されている。「高槻ジャズストリート」なるイベントを開催しているほか、街路灯の点灯時間の延長したり、商店街ならびに周辺への反社会的勢力の出入りを禁止したりすることでその改善へと取り組んでいる。現在もその運動は道半ばだが、今後ともぜひぜひ頑張っていただきたい次第だ。
厳しい状況から脱却中?の現状
さて、ここからはそんな城北通商店街の現状について観察していくとしよう。南北に150mほど、店舗数も50ほどと比較的規模の小さいこの城北通商店街だが、商店街の両端には立派なゲートが付けられている。並の商店街とは一線を画すことが手に取るようにうかがえる。
かつては違法な店舗が立ち並び、非常にアングラな雰囲気が漂っていたというこの城北通商店街。しかし、前述した青年団の活動が功を奏したのか、現在では少なくとも表通りに関してはいかにもな店舗を見かけることはなかった。
商店街内の店舗は実にバラエティ豊か。飲食店はもちろん、制服店、薬局、上の写真のように何だかいろいろやっているお店もあったり(笑)と、実に個性的な店舗が集まっている。どうやら青年側が意図してやった部分もあるそうなのだが、一体どれが既存店でどれが新規にテコ入れしたお店なのか、まったくもって分からない。
中華料理店に韓国料理店なんかも出店しており、実にバラエティ豊か。なんだか神戸市の「大安商店街」の縮小版みたいな感じに見えるんですが(ただし、こんなにたくさん食料品店がある訳ではない)、何だか似たようなものがあるんですかね。謎です。
表通りを回ったところで、今度は裏通りを見ていこう。のっけからチャリンコや原付が大量に放置されていて既に心配になる。
表通りこそ非常に綺麗に整備されたこの城北通商店街だが、それが裏まで及んでいるかというと決してそんなことはないようで、一歩路地を入るとそこには多数の夜の店が並んでいた。これらのお店が必要なのも事実なのだが、当初の目的を達成できているかどうかと言われると疑問点が残る。
裏通りには全体的にノスタルジックな光景が多く残っており、その歴史の深さを感じさせる。いかにも昭和の風情が漂っていて非常に気持ち良い。
しかし、こりゃ凄いところだな。城北通商店街、そこには失われたかつての日本の風景が色濃く残されていました。