京都の夜遊びといえば、何と言っても「舞妓さん」だろう。舞踊・御囃子等の芸でお客を楽しませる舞妓さん。彼らがいる場所といえば祇園あたりが有名だが、実際には祇園だけに舞妓さんがいるということはなく、京都市内の各所にある「花街」と呼ばれる場所にいることが知られている。
しかし舞妓さんで知られるその花街も、昨今の某ウイルスの影響下により仕事量が激減、朝日新聞の記事によると「年収10分の1、貯金取り崩して・・・」などと書かれてしまう状況下に陥っている。
さて、今回はその舞妓さんが出没することで知られる京都の花街の一つ、「上七軒」にやってきた。ガイドブックなんかでも特集されることはそれほど多くなく、花街の中では比較的知名度の低い場所にはなるものの、その街の美しさから数々の人を魅了してやまない、そんな場所だ。今回は、この上七軒の観察を通じ、舞妓さんの現在の状況を見ていくとしよう。
なお、実際に舞妓さんと宴会を行うことのできるお店は会員制の店舗がほとんどで、中身に潜入することができなかった点にはご理解いただきたい。
京都最古の花街「上七軒」
上七軒(かみしちけん)は、京都市上京区に位置する花街だ。学問の神様として有名な菅原道真公を祀る「北野天満宮」のすぐ東側に位置しており、悪い場所にあるわけではないのだが、その存在感の無さから意外に認知されない、そんな場所に位置している。
上七軒は非常に古く、その歴史は室町時代にまでさかのぼる。その当時、北野天満宮の社殿が一部焼失。その再建を行った際、残った木材を使って7軒の茶屋を建て「七軒茶屋」と名付けたのが上七軒という名前の起源になっている。
室町時代にその基礎を築いた上七軒。安土桃山時代には、あの豊臣秀吉が北野で茶会を開いた際、この七軒茶屋から献上された「御手洗団子」の味に強く感動したそうで、そのご褒美として七軒茶屋で御手洗団子を商うことの特権と茶屋株を取得、これがお茶屋の始まりとされているそうだ。なお、京都市内にある他の花街が江戸時代発祥と言われているため、上七軒は京都市内で最も古い花街ということになる。
祇園や先斗町あたりと異なり、少々京都市の郊外に位置するためかややコア層向けのお店が中心となるこの上七軒。これに関しては運営側も危機感を抱いているようで、Wikipediaによると大規模改修工事を終えた上七軒の歌舞伎場で「北野をどり」という伝統的な舞踏会をいち早く復活させたり、電柱の地中化工事を終えたうえで道路が石畳風の舗装に変えられるなど、独自性を打ち出すことで再起を図っている模様。場所が場所だし、厳しい部分もあるかと思うがぜひ頑張っていただきたいものだ。
ウイルスと戦う上七軒の今
そんな上七軒だが、その現状はどうなっているのだろうか。上七軒の伝統である「北野をどり」の開催も見合わせとなっている中で、取材班は実際にその地に出向いた(取材時期:2021年10月 緊急事態宣言のない時期に取材を行っています)。
北野天満宮の中を抜け、上七軒の中へと足を踏み入れていく。一見分かりにくいこの上七軒の入口だが、右側の細い道路を入ったところ、「ナショナル自転車」と書かれた建物などが並ぶ場所がそのまま上七軒へとつながっている次第だ。これじゃ観光客の人、気づかないよね・・・。
上七軒の中へといよいよ入っていく。電柱もなく、石畳の道路が非常に目立っており非常に美しい風景が広がっている。さすがに昼という時間の関係か、開いているお店は少ないものの、通行人の姿はそれなりにあり、生活道路として一定の役割を果たしていることは容易に推察できる。
さすがにここは花街らしく、いかにも古そうな京都らしい趣のある町家が並んでいる。ウイルスの影響で花街がああだこうだ言われているが、外から見る限り何も変わらない風景が広がっていた。本当は中に入るのが正解なのだろうが、いかんせん会員の紹介がないと入れないもので・・・そこに関してはお詫び申し上げたい。
近年では花街だけに留まらず、中を綺麗にリノベーションしたシャレオツなお店がサラッと並んでいたりしており、風情ある街並みに華を加えている。
お店ばかりが並んでいると誤解されがちな上七軒だが、北野天満宮から離れたエリアには普通の住宅も当たり前のように並んでおり、ここが特別な場所ではないことを強く実感させられる。普通の商店街に住宅が混在する風景は各所で見られるが、ここも本質的には何も変わらないようである。
反対側の終点から上七軒を見つめる。ここが上七軒だということを示す印や目標のようなものは一切存在せず、たとえここを通りかかってもここが花街だということには気づきもしないだろう。まあ、それがこういう場所というものなんですけどね。
話は変わり、今度はメイン通りから伸びる側道へと入っていこう。こちらの意味深な門、そこには「上七軒歌舞伎場」という文字が書かれている。察しの良い方ならもうお気づきだろう。そう、ここがあの「北野をどり」の行われる場所なのだ。
その側道の中を抜けていくと、そこにはやはり劇場があった(当たり前といえば当たり前)。思っていたよりもこじんまりとした場所だ。宝塚の劇場みたいなものを想像していたが、さすがにそうはいかない模様。人気のつかないところで必死に奮闘するその姿を、無視せずにはいられない取材班でした。