京都を代表する観光地の一つ「東映太秦映画村」。東映の京都撮影所の一部を移管して完成したこのテーマパークは、日本におけるテーマパークの先駆けとも呼ばれており、1975年のオープンから今に至るまで多くの人々で賑わいを見せている。
映画をモチーフにしたテーマパークを持つこの京都市だが、先ほども書いた通りこのテーマパークは東映の撮影所の一部を移管する形で建設されており、その撮影所も現在に至るまで健在。そしてこの東映以外にも松竹などの有名映画製作会社の多くが京都に撮影所を持っており、さながら「映画の街」の様相を見せている。京都には「日本のハリウッド」なる名称までつけられていたこともあったそうだが、さすがにそこまでは言い過ぎかと・・・(笑)
そんな「日本のハリウッド」の異名を持つこの京都だが、そんな京都市の中心からやや西側に行ったところ、一般に「太秦」と呼ばれる場所には、この映画の発展にあやかって形成された商店街が存在し、今もその毛色を色濃く残しているのだという。今回は、そんな映画の色を濃く残す商店街「大映通り商店街」について、その現況を見ていくこととする。
映画とともに発展「大映通り商店街」
大映通り商店街は、京都市右京区にある商店街だ。京福電鉄嵐山線の太秦広隆寺駅から帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅とを結ぶ、比較的狭い道路の中を縫うように形成されている。
大映通り商店街の歴史は戦後のゴタゴタ期から始まる。当時、現在の大映通り商店街のある場所は三条通のバイパスとしてそれなりの需要が存在していた。それに加え、嵐電がすぐ近くを通っているというその恵まれた環境から多くのお店が出店。当時から周辺に多くの映画撮影所があったことから、その隆盛にあやかって1966(昭和41)年に「大映通りショップ繁栄会」が成立。それが1971(昭和46)年に「大映通り商店街」という名称に改組して現在に至っている。
なお、大映通り商店街の「大映」という名称は、商店街の組合が形成された当時、商店街の近くに門を構えていた「大映京都撮影所」に由来する。しかし、当の大映が1971(昭和46)年に倒産。現在は名ばかり商店街となってしまっている。ちなみに跡地には今も石碑が設置されているそうなので、良ければ行ってみては?
さて、大映通り商店街の歴史について軽く触れたところで、早速商店街の中へと入っていこう。2つの駅の間にまたがって形成されているこの大映通り商店街だが、どうやら帷子ノ辻駅側が街の中心となっているようで、商店街もこちら側(西側)を中心に形成されている。
商店街の中を進んでいこう。大映通り商店街は東西に700mほどの長さで広がっており、商店街の多い京都市内でもそこそこの規模を誇っている。ちなみに、一見普通に見える商店街の道路だが、こちらもパーフォレーション(映画のフィルムの両側に並行して開けられる穴)をイメージした塗装となっており、細かい気遣いが感じられる。ものすごいこだわりようだな・・・。
参考:パーフォレーション
大映通り商店街の象徴・大魔神
商店街の中を歩いて行くと、明らかに目立つ像が見えてくる。手前の車と見比べてもらえればその像の大きさがわかるだろう。とても普通の商店街にある像とは到底思えない。
この大魔神はもともと1966(昭和41)年、かつて太秦にあった大映京都撮影所で作られた映画「大魔神」の像として作られたものが2016年に復活したもので、映画の中で悪者を退治する際の顔を再現しているのだそうだ。その高さは約5メートルというから驚きだ。
なお、この像は常時設置されているものではないのだそうで、よそのイベントに出張することもあるのだとか。映画の中で悪者を退治するように、この新型肺炎ウイルスも退治して頂きたいものですね。
「キネマストリート」と呼ばれる大映通り商店街の今
大魔神の像を抜け、さらにその先へと進んでいこう。「キネマストリート」というその名の通り、明らかに映画を意識した街並みが構成されているのが面白い。
商店街の中に並んでいる店舗は他の一般的な商店街と比べてもそう変わらないのだが、
ところどころにモチーフである「映画」を取り入れており、本当に回っていて面白い。ここまで来ると商店街というより、一種のテーマパークのような雰囲気を感じてしまう。
商店街内には「うすキネマ館」なる観光案内所兼レストランまで設置されており、街をあげて映画を前面に押し出していることがよくわかる。良い場所ではあるのだが、いかんせん観光ガイドに掲載されておらず知名度が低いのが惜しい。
太秦広隆寺駅側から商店街を見つめる。さすがにこちら側まで来ると映画色も薄れてきており、なんだか別の商店街に来てしまったような感覚を味わわなくもない。とはいえ、ここまで「色のある」商店街も非常に珍しいので、実際に回ってみて非常に面白い場所だとは思う。ぜひ一度行ってみることをおすすめします。