大阪市此花区・千鳥橋エリアの商店街は、此花区全体を東西に貫通する北港通の北側にあるのがほとんど。しかし、今回ご紹介する「此花住吉商店会」はその中でも数少ない北港通の南側に位置する商店街となっており、商店街内で行っている独自の施策や核店舗となっているスーパーを巡り実に複雑な経緯があることで知られている。今回は、そんな様々な特徴を持つ商店街「此花住吉商店会」について、その様子を見ていくこととする。
商品券が使える「此花住吉商店会」
此花住吉商店会は、大阪市此花区に位置する商店街。此花区内を貫通する大通り「北港通」の南側に位置している。北側には「四貫島中央通商店街」というこれまた別の商店街が位置しており、駅から別の商店街のアーケードを通ってここまでアクセスすることができる。「KONOHANA STREET」という文字がファンシーな背景とあいまってなかなか楽しい雰囲気を醸し出してくれていますね。
此花住吉商店会は「商品券が使える商店街」を掲げており、此花区商店会連盟のサイトにも
全国百貨店共通商品券、大手信販会社発行のギフト券など、商品券で買い物ができる商店街です。
という記載がある。金券ショップで商品券を調達することにより、少し安くお買い物できそうですね。
商店街の中へと入っていこう。商店街自体はそれほど長いものではないが、途中で2手に分かれているためそれなりに規模がある(とはいっても、分かれた先のアーケードは非常に短いが)。駅からやや離れた場所にあるこの此花住吉商店会だが、激しい競争の中で奮闘している模様だ。
とはいえ、核店舗のスーパーが残っているからか、それなりの人出はあるようで、スーパーのあるエリアを中心にズラズラと自転車が並び、商店街らしい雰囲気を醸し出している。通路が広いからか、此花住吉商店会では自転車を通路の中央に置くのが暗黙のルールとなっているようだ。城東区の「城東商店街」と同じシステムですね。
ではスーパー以外はどうなのかというと・・・こちらは全体的に厳しい状況。今や貴重な存在となった「ヤマザキサンロイヤル」が残っていたり、昔ながらの金物店が今も営業を続けていたりと、面白い点は数多く残っているのだが、いかんせん人通りがないため寂しさを感じずにはいられない。
商店街の終点へ。終点では「此花住吉神社」なる神社とつながっており、その門前町としての意味合いで整備されたのがこの此花住吉商店会になるようだ。この手の商店街は全国に数多くあるが、「参拝」というものに対する考え方が変わってきている現状では厳しいものがあるのかもしれない。
「スーパーサンコー」の複雑すぎる経緯
さて、先述した商店街内に位置する核店舗「スーパーサンコー」。現在もそこそこの賑わいを見せており、商店街内で最も集客力のある店舗と言って良いだろう。しかし、このスーパーを巡る裏には実に複雑な経緯があるというのだ。
この施設の経緯はなんと戦前までさかのぼる。当時、このエリアには「私設住吉市場」という私設の市場が整備され、非常に大きな商店街が整備されていた。しかし、戦争による災禍で商店街がまるまる焼失。戦後、1948(昭和23)年に区民の要請により「此花公設市場」という市場が開設された。1983年に発行された「わたしたちの此花区」によると、
店の種類 | 此花公設市場 | 住吉商店街(現・此花住吉商店会) |
食べ物を売る店 | 34 | 11 |
身に付けるものを売る店 | 6 | 9 |
日用品を売る店 | 2 | 4 |
その他 | 3 | 9 |
合計 | 45 | 33 |
という記述があり、当時の公設市場は商店街よりも規模の大きいものだったことがうかがえる。
グッディー此花がスーパーサンコーに変わろうとしていた pic.twitter.com/CQ2im7xoSz
— JP-Super (@jp_super) April 20, 2019
しかし、此花公設市場は時代の流れとともに衰退。「コーセツルミネ此花」→「グッデイ此花」→「スーパーサンコー」と移り変わり現在に至っている。グッデイ此花の状況がスーパーサンコーにも綺麗に残されているのが本当に驚きです。
なお、此花住吉商店会の近隣には「四貫島サティ」なるマイカル系の店舗もあった模様。何だか不思議な縁を感じるのですが、気のせいでしょうか・・・?