関西人にとって日本毛織の工場再開発といえば、何と言っても兵庫県加古川市の「ニッケパークタウン」が有名だろう。こちらの施設に関しては以前当取材班も取り上げているので、詳しくはそちらの記事を参照して頂きたい。
しかし、関東人にとっては話は別。関東在住の方々にとって「ニッケ」といえば、千葉県市川市の「ニッケコルトンプラザ」を思い浮かべる方が多いのではないのだろうか。日本毛織中山工場の跡地再開発として開業したこの施設は、1988(昭和63)年の開業以降、現在に至るまで一貫してその姿をこの地に留め続けており、関西のニッケパークタウンとは一味違う景色を醸し出している。今回は、そんなニッケ工場跡地の再開発施設「ニッケコルトンプラザ」について、その様子を見ていくとしよう。
日本毛織の工場再開発「ニッケコルトンプラザ」
ニッケコルトンプラザの歴史
ニッケコルトンプラザは、千葉県市川市に所在する商業施設。かつて存在した日本毛織の市川工場の工場跡地を再開発する形で、1988(昭和63)年に開業した。「ニッケ」と名称についていることから分かる通り、元々工場を保有していた日本毛織が運営に参画しているのが特徴。このあたりは前述した「ニッケパークタウン」も同様だ。ちなみにあちらの方が古株です(1984年開業)。
1988年に開業したこのニッケコルトンプラザだが、その計画そのものは1970年代にまでさかのぼる。1973年、戦後長期間にわたって黒字を記録してきた日本の繊維貿易収支が初めて赤字に転落。これに危機感を持った日本毛織側が工場跡地を再開発する計画を発表したが、地元からの反発もあり交渉は難航。最終的に店舗規模を縮小する形で開業した。なお、開業後に増床を行い、現在は開業当初よりもショッピングエリアが拡大されている。
1988年の開業時には核テナントとして、スーパーの「ダイエー」及び百貨店の「プランタン」が入居。プランタンは1996(平成8)年に閉店してしまったが、ダイエーに関しては現在も元気に営業を続けている。加古川のほうはダイエーが撤退してしまっているだけに、首都圏と京阪神の差を感じてしまうのは取材班だけでしょうか(笑)
現在では開業から既に30年以上が経過し、老朽化が隠せない時期になってもおかしくないニッケコルトンプラザ。しかしこの施設に関しては意外にも古さを感じさせないのが面白い。施設ひとつひとつを見ても非常に特徴が出ており、「地域の中でも目立つ存在」になるように挑戦を続けているようだ。施設を運営する企業「ニッケタウンパートナーズ」のサイトにも、理念として
地域共生型SCの先駆けとして誕生したニッケコルトンプラザ。
モノやサービスを提供するだけでなく、
地域コミュニティーに貢献できる商業空間を目指してきました。
“やさしく、あったかい”ふれあいがここにはあります。
コルトンプラザはこれからも、
心地良い時間と新しい出会いの場を提供してまいります。
とあるが、その目論見は見事に成功していると言って良いだろう。ここからは、そんな「地域とともに生きる」ニッケコルトンプラザの様子を見ていくとする。
緑あふれる屋外・開放的すぎる屋内
少々バブル感の溢れる雰囲気が素晴らしい件
ニッケコルトンプラザの歴史や理念について見てきたところで、ここからはその様子を見ていくとしよう。まずは屋外から。最寄り駅から徒歩15分ほどと、やや距離のあるこのニッケコルトンプラザ(アクセスに関しては後述)。しかし、その道のりを歩いて行くといきなり巨大なゲートが現れるから驚きだ。めっちゃ目立つな(笑)
そしてゲートの前には噴水、そしてこれまた実に特徴的なエントランス。この手の商業施設では珍しく、1階は屋外エリアを除くとほとんどが駐車場と言う構造をしている。
エントランスの横を通り過ぎ、屋外エリアを見ていきましょう。1988年という開業時期もあり、いかにもバブリーな景色が随所に見られる。以前当取材班で特集した「グンゼタウンセンター つかしん」ほどではないが、なかなか渋い光景だ。
しかしこんな綺麗な屋外エリアであっても、入るテナントは大手チェーン店ばかりというのがまたいかにもショッピングセンターらしい。そら百貨店も撤退しますわな。
なお屋外エリアの一角には、なんと日本毛織の工場時代から続く広大な森や神社が今も残されており、現在も開放時間内であれば自由に利用することができるようになっている。取材班が訪れた際も子供たちがまるで公園で遊ぶかのように自由に活動しており、地域の生活の一部となっていることを実感した。
そしてその中には農園まで整備・・・すいません、何をやっている施設なんですか、ここは?(笑)
しっかし何だか全くもって不思議な場所だな、ここは。最近ありがちな「効率的なショッピングセンター」とは一線を画す空間が、そこには広がっていました。