かつて加古川に事業所を擁し、同市の一大産業となっていた毛織業の中核を担っていた、日本毛織(通称:ニッケ)。現在は日本毛織側の繊維事業の縮小に伴い、事業所(+工場の一部)は閉鎖され、工場は今も残っているものの(川の対岸にある「印南工場」)国内の繊維業自体が斜陽にあることもあってか、往年の面影はもはやないと言っても差し支えないだろう。
さて、かつて存在した当の事務所だが、事務所と工場が同時に閉鎖されたこともあり、その規模があまりに広大だったことから、現在はその場所が大規模に再開発され、あのイ〇ンもびっくりするような巨大なショッピングセンターが建てられているのだという。今回は、そんな日本毛織の工場と事務所を再開発した巨大商業施設「ニッケパークタウン」について、その現況を見ていくこととする。
日本毛織の工場再開発「ニッケパークタウン」
ニッケパークタウンは、1984年、日本毛織の旧加古川事業所・加古川工場の跡地に完成した商業施設だ。「ニッケ」と名称についていることから分かる通り、元々工場を保有していた日本毛織が運営に参画しているのが特徴だ。これと同じ経緯を持つ施設として、千葉県市川市の「ニッケコルトンプラザ」が挙げられ、どちらも大型商業施設として一定の存在感を見せている。なんだか瓜二つだな(笑)
1984年という商業施設にしては比較的歴史のある施設ということもあり、時代とともにそのテナントも大きく変遷を続けてきた。1990年代には周辺に多くの商業施設が乱立したこともあり、規模を拡大し「リバーサイドゾーン」なるエリアを新設。2002年には当時の核テナントであるダイエーが撤退し、その代わりにコープこうべが入居。しかしこちらも2016年には全面改装とともにスーパーの「万代」に変わるなど、非常に複雑な歴史をたどっている模様だ。川向かいにイオンタウンが開業したこともあり、この辺は積極的なんでしょうね。
近隣商店街と異なり賑わいを見せる館内…
さて、ニッケパークタウンの歴史について書いたところで、その現況を見ていくこととしよう。ニッケパークタウンは加古川市髄一の商店街「寺家町商店街」のすぐ北側に立地しており、JR加古川駅からはやや離れた場所に位置しているものの、広大な駐車場を完備していることもあって車社会のこのエリアでは非常に都合が良い。
ニッケパークタウンの中へと入っていこう。中はスーパーから洋服店、靴店、ドラッグストアにおもちゃ屋等一通りのお店が揃っており、そのせいか非常に賑わっている。先ほど挙げた寺家町商店街や駅前のヤマトヤシキ加古川とは大違いだ。結局ショッピングモールの時代なんですね。
モール中央にある大きな吹き抜けからニッケパークタウンを見つめる。しかし随分と賑わっているな。モールそのものは2階建てと決してタテに大きな建物ではないものの、日光が入る天井が整備されているのもあいまって非常に開放的な印象を受ける。やはりここはショッピングモールなのだ。とても1984年に完成したものとは思えないが・・・。
本館を抜け、後に増設されたエリアである「リバーサイドゾーン」の方向へと歩みを進める。両館の間は屋根付きの連絡通路で結ばれており、雨の日でもぬれずに移動することができる。しかし凄いな・・・。休日に訪問しているとはいえ、駐車場が満員御礼になっているあたり、相当景気が良いんでしょうね。
リバーサイドゾーンに到着。2017年のリニューアルにより「ミーツテラス」と新たに名付けられたこのエリアには、スターバックスコーヒー、TSUTAYAなどのオシャレな店舗が勢ぞろい。かつてはホームセンターが入っていたのに、この変わりようである。もちろん、リニューアル前からある店舗(ボウリング場等)もあるにはあるのだが、時勢の変化というものなのでしょうか、下層階ばかりが人であふれてしまっている状況。まあ人がいるんだから成功といえば成功か(笑) 新しいショッピングセンターの形なのかもしれません。
今も残る日本毛織時代のレンガ倉庫
今やショッピングモールへと変遷してしまったニッケパークタウン。しかしその中で一か所だけ、日本毛織時代の建物が今もそのまま残っている場所が存在する。それがこちら、「6番倉庫(れんが館)」だ。
「6番倉庫」というその名前から分かる通り、かつて日本毛織の倉庫として使われていたこちらの建物。現在は関西を中心に幅広く展開を行うカラオケ店「ジャンカラ」が入居している模様。筆者訪問時は休業中となっており、中に入ることは叶わなかったが・・・(泣)
そんな6番倉庫だが、その横にはいかにも現代らしい機器の数々が・・・。雰囲気は残せても、当時の設備までは保存できませんよね。そりゃそうか。