関東における野田と言えば醤油の街である千葉県野田市のことを指すかもしれないが、大阪で野田と言えば大阪市福島区の野田を指している。
この大阪・福島区における「野田」という地名が、この地域の存在を非常にややこしいものにしていると言っても良いだろう。まず、阪神電車「野田」駅・地下鉄千日前線「野田阪神」駅・JR東西線「海老江」駅とJR環状線の「野田」駅は微妙に離れた場所に位置している。これだけでも既に意味不明なのだが、それに加えJRの方の野田駅には、地下鉄千日前線の「玉川」駅と乗り換えできるようになっているというから余計にややこしい。観光客が来るような場所ではないのがまだ救いではありますが。
しかし、場所は違えどこの2つの駅には同じ名前がついている。このことから分かる通り、これらの2つの駅はそれほど遠い位置にあるわけではなく、2つの駅の間を歩いても徒歩10分ほどの距離で移動することが可能だ。そして、ここ大阪・福島区ではこれら2つの駅の間を結ぶような形でアーケード商店街が整備されており、「野田新橋筋商店街」という名称がついている。今回は、この野田新橋筋商店街と、その周辺に位置する、ある事情を抱えた物件について取り上げることとしよう。
野田新橋筋商店街の歴史
野田新橋筋商店街は、大阪市福島区にある、JR野田駅と阪神電車野田駅との間を結ぶアーケード商店街だ。JR大阪環状線・JR東西線・阪神電車・地下鉄千日前線と、4つの鉄道路線が集中する便利な場所を結ぶように位置しており、その場所の良さもあってか、大阪市内でも屈指のにぎわいを見せる商店街となっている。
そんな野田新橋筋商店街の歴史は古く、もともとは戦後の闇市から上がってきたのが、昭和38(1963)年に振興組合が発足、アーケードがつけられて今に至るのだそうだ。組合発足からそろそろ50年経つが、その当時から令和の世となった今に至るまで営業を続けているお店が半数以上あるというから驚き以外の何物でもない。地域の方々に慕われているんでしょうね。
野田新橋筋商店街の現在
異様に狭いアーケード内
さて、軽く野田新橋商店街の歴史について説明したところで、さっそくJR野田駅側からアーケードの中に入っていこう・・・って狭いなおい。区を代表する商店街とは思えない狭さである。十分なスペースが取れないあたり、やっぱりこの辺が闇市上がりなんでしょうね。
商店街の中はこんな感じ。野田新橋筋商店街は全体的に歩きにくい通路が続く商店街ではあるが、その中でもJR野田駅側は通行量も少ないのか、特に通路が狭い。よくこんなんで今の今まで営業を続けられるな・・・と少し驚かされる。
商店街の狭いアーケードを進んでいくと、数十m進んだあたりでようやくやや広めのアーケードへと出ていく。しかしこちらも通路にお店の商品が並んでいるだけでなく、自転車に乗った方々が自転車から降りることなくアーケード街内を突っ切っていくせいで危ないことこの上ない。他の商店街の記事でも申し上げていますが、商店街内(特にアーケード内)では自転車を押して歩きましょう。
商店街内の八百屋さん「八百鮮」の前には多数のチャリンコが商店街のアーケードと平行して停められているという、他の商店街ではあまり見られない光景を見ることができる。これもアーケードが狭いという野田新橋筋商店街特有の理由によるものなのだろう。しかしそうはいってもやはり狭いものは狭い。ちょっと無理があるのでは・・・と感じる瞬間だ。
そんないろいろと事情のある野田新橋筋商店街のアーケード内だが、全体的には入っているテナントの数も多く、「生きている商店街」という印象を受けた。野田阪神駅の近くにはイオンや「ウイステ野田阪神」なるショッピングモールもあるが、その中でこれなら相当健闘しているほうなのではなかろうか。
とはいえ、ここは下町。オツな雰囲気を醸し出す洋食店や回転寿司の元祖「廻る 元禄寿司」が今も堂々と営業を続けている。最高ですねえ!!
ウイルスの影響を受けすぎる男の街「新橋横丁」
野田新橋商店街を途中で抜けると、「新橋横丁」なる別の商店街が現れてくる。東京の新橋ちゃいまっせ。大阪でっせ。
こちらの新橋横丁だが、先ほどの野田新橋商店街とは打って異なり、居酒屋やパチスロ屋等、明らかに「男向け」の街が広がっている。風俗店がないだけまだマシだが(大阪府は条例でソープの営業が禁止されている)、酒にギャンブルという二大要素が揃っているあたり、やっぱりここは大阪なんだよな。
果ては明らかに怪しい雰囲気しかない雑居ビルまである始末。ここの商店街は某ウイルスの影響をモロに受けているという話ですが、まあ中身が中身ですし、そうなるのも仕方がないのかもしれないですよね。表があれば裏がある。そんな大阪の風景でした。