兵庫県を代表する繁華街、三宮がいろいろとマズいことになっている、ということを当編集部ではこれまで何度もお伝えした。1995年の阪神・淡路大震災から今年(2021年)で26年目に入る今でもなお、人口減少に歯止めがかからず、福岡市に次いで川崎市にまで人口を越されてしまった神戸市。
そういえば、かつてすったもんだあった高架下はどうなったんだろう、ふと気になって足を運んだ。三宮から神戸駅まで続くこの高架下の商店街だが、三宮から元町が「ピアザ神戸」、元町から先が「元町高架下商店街(通称モトコー)」となっており、どうやら一続きの商店街にはなっていない模様。ということで今回は、三宮から元町を結ぶ「ピアザ神戸」について、その状況をお伝えする。
三宮側からの入口が分かりづらい件
ピアザ神戸は三宮駅と元町駅の間を結ぶようにしてつくられているため、三宮と元町の双方が最寄りとなっている。もう少し詳しく言うと、ピアザ神戸は「ピアザ神戸1」「ピアザ神戸2」「ピアザ神戸3」の3つの棟から構成されており、1と2に行くのであれば三宮が近く、3であれば元町のほうが近いといった具合になっている。
しかし、最寄りであるはずの阪急三宮駅西口に着いたは良いものの、いったいどこに歩いて行けばピアザ神戸に着くのかよくわからない。
それもそのはず、阪急三宮からピアザ神戸に向かうには、
阪急三宮駅西口のご立派な階段を降り、
階段を降りた先を左に曲がり、このいかにも古臭い細い通路を抜け、
外に出る直前に現れる角を右側に行かないと、
たどりつかないからだ。
そのくせ、同じ三宮という駅名でも、会社によって全然違うところに駅があるから余計にややこしい。阪神三宮から行くとなると、おそらく10分近くかかるだろう。「駅直結」と名売ってはいるものの、駅直結と言って良いのかよくわからない。ちなみに左下にある赤い矢印だが、これは阪急三宮からピアザ神戸に向かう場合のルート(先ほどの写真のルート)である。近い割にやけに難しいので困ってしまう。
なお、タイトルで「三宮側からの」という接頭辞をつけたが、元町側からであれば、
駅を出て左に行き、横断歩道を渡ればすぐにたどりつける。これくらいわかりやすくしろよ、これくらい。ただでさえ三宮は複雑なのに、それを工事やなんやらでもっとめちゃくちゃにされちゃ誰もやっていけないっつーの。この手の問題は、店舗の経営者とも協議する必要があると筆者は考えるのだが、こういった面では弱小中小企業に味方しない。実に日本らしい光景である。最近では「神戸三宮阪急ビル」なる高層ビルも建ち始めており、この中にある商業施設とも戦っていかなければならない。ピアザ神戸、大丈夫なのだろうか・・・
潰れるお店、狭い通路
さて、これまでああだこうだ書いていたが、いよいよ中に入っていくとしよう。三宮駅に一番近いはずのテナントエリアが既にクローズしているのが気になって仕方がないが、とりあえず中に入っていく。
うん。ダメだね。
三宮からわずか1~2分歩いただけなのだが、既にこの状況だ。営業しているお店もあるにはあるが、閉まっているテナントも数多くある。
最近のピアザ神戸はタピオカブームに乗る形で、10店以上のタピオカ店が軒を連ねていたのだが、タピオカブームの終焉・新型コロナウイルスの影響により現在ではわずかに5店舗が営業をしている。タピオカブームとともに栄えたピアザ神戸、タピオカブームの終焉と共に死ぬ、か。廃墟をつくる非常にわかりやすい事例と言えよう。それでも5店舗が存続しているだけでも驚きだ。近くに中華街(南京町)があるにも関わらず、よくやっている、と感じざるを得ない。
もともとピアザ神戸は、上の写真のようなアメカジ系ファッションショップがテナントの多くを占めていた。「オシャレタウン神戸」というトレンド・流行・勝手なイメージに乗っかってできた特有の風景が、そこには広がっていたのだ。
しかし、若者の貧困化が叫ばれる昨今、このようなアンテナショップで洋服を客層は減る一方。それに加え、神戸の経済衰退が追い打ちをかけるように到来。結果、現在では上のようなアメカジ系ファッションストアの多くが廃業、もしくは機会を求めて大阪・アメリカ村へと移転してしまった。それでも他に比べると相当多いんですが。
とはいえ、そこは神戸最大の繁華街・三宮と旧生田区の中心・元町をつなぐ通路の一つとして機能しており、全くお店がないなどということは決してなく、約7割ほどは埋まっているようだ。それにしても三宮側ばかり空きテナントが多いのはどういうことなんですかね。動線の悪さがここまで影響したなんて話、筆者はピエリ守山くらいしか知らないんですが。
それにしてもこのピアザ神戸、とにかく通路が狭い。人が2人並んで歩くのが限界、という狭さで、この店舗構成柄若いカップルが多く通ることから、非常に通路の流れが悪くなっていた。神戸市の都市計画に様々な歪みが生じていることは「株式会社神戸市」時代から問題視されてきたが、こんなところにまでそのひずみが出てしまうというのは、計画以前の問題なのではないか、とさえ考えてしまう。
そんな「トレンドに左右される施設・ピアザ神戸」であるが、数少ない地元民向けのお店はちゃんと今も営業を続けていた。結局最後に残るのは、トレンドに乗らず、粛々と地道に営業を続けてきた店なのだ。この当たり前すぎる事実に、一種の納得感、そして「神戸らしくなくなってしまった」という悲哀感を感じざるにはいられなかった・・・。