大阪市旭区に、「千林大宮」という駅がある。大阪メトロ谷町線の駅となっており、梅田や天王寺へも1本でアクセスできる、なかなか便利なエリアだ。
今回は、そこにある商店街に関する記事だ。この周辺には、多くの商店街があるのだが、今回はその中でも最も大規模で、かつ有名(といっても、大阪以外から来た観光客はまず行かないのだが)な商店街、「千林商店街」について書いていこうと思う。
この千林商店街、実は「天神橋筋商店街」「駒川商店街」と並ぶ大阪三大商店街の一角を占める非常に大きな商店街となっている。なお、千林商店街そのものは地下鉄の「千林大宮駅」と京阪電車の「千林駅」を結ぶエリアのことを指すのだが、周辺にはこの商店街以外にも、北側に伸びる「今市商店街」や、千林商店街と道を隔てたところにも「千林大宮商店街」なるものがあり、それらを含めるとその規模は大阪最大といっても過言ではないだろう。
<大阪三大商店街についてはこちらから>
さて、余談が長くなってしまったが、今回取り上げる「千林商店街」に早速入っていくことにしよう。
旭区の中心商店街「千林商店街」
千林大宮駅の改札を抜けて出口を出ると、すぐにこのような入口が出てくる。入口からいきなりパチンコ屋に「ジャンボ酒場」(たこ焼きで有名な「じゃんぼ総本店」の系列である)があるあたりがいかにも大阪らしい。賑わっている商店街にありがちの風景ではあるのだが、やはり何か違うというか、こういうお店があると商店街らしさが薄まってしまうな、と感じてしまう。もちろん、何もないより良いに決まっているのだが。
商店街の中を進んでいく。土曜日の昼下がり、人が多い日ではあるが、時間的には人通りの少ない時間だ。その割にはそこそこの人出。「密」を避ける今の風潮を考えると、これくらいがちょうど良いと思われる。
ちなみに写真からは分からないが、この商店街の特徴として、「途中で折れ曲がる」という点がある。通常、アーケード商店街は一直線に作られることが多いのだが(特に大阪市内では「平地が多い」という事情もあいまって特に多い)、この「千林商店街」では途中でカクカクと、2回折れ曲がるのだ。それに加え、このアーケード商店街はカーブしている箇所もあり、歩いていて飽きることが無い。なかなか良くできた商店街だ。
ちなみに、なぜこのアーケード商店街がクネクネと曲がっているのか?という疑問に対しては、江戸時代におけるこの道の背景から説明することができる。
というのはもともと、この道は「京街道」と呼ばれる重要な交通の要衝だったのだ。今となっては大阪までつながっている東海道だが、当時は京都の三条大橋までしかつながっていなかった。そうであるにも関わらず、江戸時代の大阪(当時は「大坂」)は「天下の台所」と呼ばれた商業の中心地。しかし、東海道は京都まで。さて、どうしよう・・・。となったときに使われたのがこの「京街道」。現在では国道1号がその代わりを担っているが、当時はここが重要な交通路だったのだ。こんなところに歴史を感じられる遺構が残っているから世の中はおもしろい。
そしてこの商店街の全体的な特徴として、「個性的なお店が多い」ことが挙げられる。全体的な傾向として、商店街には「少し変わったお店」が多く出店しているところがあるのだが、ここ千林商店街では特にその傾向が強かった。「10L」って誰が着るねん。マツコ・デラックスくらいしか思いつかんぞ。
また写真であげたお店以外にも、袋ラーメン 期限切れのため 10円という看板を掲げたお店があったり・・・。大阪らしい光景ではあるんやけど・・・あるんやけど・・・
それはさすがにアカンやろ!!
(さすがにキケンな匂いを感じたので、写真は撮っていません。気になった人は探してみてね。今もあるか知らんけど。)
地下鉄千林大宮駅から歩くこと数分。京阪電車の千林駅に到着。正直、駅が商店街の中に溶け込んでいて少々分かりづらい。アーケードの中に「京阪電車 千林駅」というマークが普通のお店と同じように並べられているあたり、相当商店街組合と仲が良いのだろう。ちなみにこの商店街は京阪電車の開業とともに成長したという経緯があるらしく、この状況になっていることにもちゃんと理由があるらしい。ただ、この駅は普通しか止まらないこともあって、正直地下鉄より利便性が悪いのだが。(地下鉄谷町線は6分間隔、京阪は10分間隔)
ちなみに、この駅の先にもアーケードはないものの商店街が続いており、「千林栄通商店街」や「千林駅前あじな商店街」といったものがある。こちらに関しては、お店の数も少なく見るものも少なかったので今回は割愛。来た道を戻ることにする。
それにしてもこの商店街、とにかく通路が狭い。もう少し言うと、通路自体はそれなりにスペースがあるのかもしれないが、お店側が通路まで商品をならべているため、実質的に通れるスペースがとても狭くなってしまっているのだ。場所によっては、人と人とがすれ違うのもやっとという状況で、たまたま空いている時間に行ったためまだよかったのだが、混雑している時間になると相当キツい状況になるのが容易に想像できる・・・。おまけに「自転車は降りて通行してください」と書いているにも関わらず、チャリビューン!!する人の多さ。これが大阪の限界なんだろうなぁ・・・。
千林商店街に残るダイエーの跡
大阪市内でも有数のにぎわいを見せるこの千林商店街だが、千林商店街出身で最も有名になったお店といえば、やはり「ダイエー」だろう。ダイエーは1957年に「大栄薬品工業株式会社」として創業し、この千林商店街の一角に「主婦の店・ダイエー薬局」を開店させたことから始まる。
そしてこのダイエーは1974(昭和49)年9月に家主との契約期限切れで閉店してしまったものの、かつてそのダイエー薬局があった場所には今もドラッグストアが営業を続けており、特に記念碑のようなものが置かれているわけではないものの、その面影を今も伝え続けている。
なお余談だが、ダイエーの創業者の中内功の父、中内秀雄氏も当時「サカエ薬局」というお店を経営しており、これが中内の事業の原点になったのではないかと言われている。
そしてそのすぐ近くには、かつて「ダイエー千林店」として営業していた店舗が今も残っており、ダイエーとしては閉店してしまったものの、パチンコ屋という形でその建物は今も現役で営業を続けている。正確にはこのダイエーには「千三商店街」と呼ばれるエリアに位置しているのだが、千林商店街のすぐ近くに位置していること、京阪千林駅が近いということもあってか今も「123千林店」という名前で営業を行っているようだ。多角化が原因で氷河期に業績悪化、そして破綻へと追い込まれたダイエー。そして、コロナ禍のパチンコ屋叩きを乗り越え、今もちゃんと営業を続けるパチンコ屋。何がこの差を生み出してしまったのか、寂しさを感じずにはいられなかった・・・。
<千林地区の商店街一覧>
元気のある商店街の形成 千林商店街とその周辺 /東方出版(大阪)/石村真一