「大阪」と一口に言っても、その中身は様々だ。特に在京メディアは「東京>大阪」という力関係を明らかにしたいのか、道頓堀や新世界の光景ばかりを映し出す傾向にあるが、もちろん大阪にはあのような街しかないのかというと決してそんなことはなく、天王寺の「あべのハルカス」を筆頭に梅田や中之島といったエリアには大規模なオフィス街がどーんと広がっている。
しかし、近代化が進んだ現代にあっても、やはり東京と大阪は違う街だ。何がその違いを生んでいるのか。その答えは、やはり「人情味」にあると言って良いだろう。道を歩いているだけでおじさんおばさんに話しかけられる。お店の人と語り合う。そのノリの良さが、大阪という街の最大の魅力なのではないのだろうか。取材班としてはそう感じている。
話をもとに戻そう。そんな「人情味の街」大阪だが、その大阪の中で最も大阪らしさを感じられる場所といえば、やはり何と言っても「商店街」ではなかろうか。心斎橋筋商店街のような明らかにチェーン店だらけの商店街は別だが、令和となった今でも大阪には数多くの商店街が残っており、しかもその多くがアーケードを擁している。関西に住んでいるとあまり実感できないかもしれないが、実はこれは非常にスゴいことなのだ(例えば、この記事を書いている筆者の出身地である千葉県には、県全体で1つしかアーケード商店街がない)。
今回は、そんな大阪に数多く残るアーケード商店街のうち、大阪市阿倍野区昭和町に本拠を構える商店街、「昭和町二丁目商店街」を特集することにしよう。
ザ・大阪の商店街「昭和町二丁目商店街」
昭和町二丁目商店街は、地下鉄御堂筋線・昭和町駅から歩いて数分のところにあるアーケード商店街だ。地下鉄谷町線・文の里駅から「文の里商店街」のアーケードと隣接する形で位置しているアーケード商店街で、文の里商店街と反対側で隣接する「文の里妙浄通商店街」のアーケードとともに長大なアーケードを形成している。
さっそく中へと入っていこう。アーケードに掲示がなされていないため一瞬どういう場所なのか分からないが、中に「昭和町二丁目商店街」と書かれた垂れ幕がかかっており、そちらからその存在を理解することができる。とはいえ真っ白だとさすがに寂しいなぁ・・・。
ちなみにその垂れ幕がこちら。商店街の正式名称である「昭和町二丁目商店街」よりも愛称であるはずの「あきんど村」の文字がでかでかと書かれており、商人の街・大阪であることを感じさせる。なお余談だが、かの有名な回転寿司チェーン「あきんどスシロー」も大阪市阿倍野区で創業している。もしかしたら「あきんど」という名称もこの周辺から生まれたのかもしれない(ちなみに「語源由来辞典」にて調べましたが、正確な語源は不明とのこと)
商店街の中へと入っていく。先日の記事で取り上げた文の里商店街とは異なり、かなり古めのアーケードが2021年になった今も健在だ。体感1960年代といったところだろうか。しかもアーケードの割に周りの建物が新しくなっており、商店街の古さが余計に目立っている。神戸市のサンロードクニカで同じようなものを見たが、まだ商店街としての形態が残っているだけでも良いか。
この昭和町二丁目商店街だが、見た目からしてもすぐに分かる通り地元密着型の商店街となっており、中に入居している店舗も青果店や精肉店等、広域からお客さんを集めるわけではないが地元の方々から愛されるお店が多くそろっている。
(ちなみにこの「広岡精肉店」さんはプロ野球選手・広岡大志選手の実家だということです。情報提供ありがとうございます!)
もはや消滅しかけている「東芝の電気屋」もここ昭和町二丁目商店街には健在だ。しかし「TOSHIBA」とデカデカ入口に書いてあるのにも関わらずパナソニックやソニーなど他のメーカーの商品も扱っており、東芝の専属店というよりは街の電気屋さんといった様相だ。時代の流れといえばそうなのかもしれないが、多様化が進んだ今、一つのメーカーにとらわれないのはある意味賢い戦略なのかもしれない。
もはやこの手の商店街では恒例となってしまった「潰れてしまったお店」もちゃんと残っている。見た目からしても閉店からかなり時間が経過しているようだ。ちなみに珍しく「角にある店舗ばかりが閉店している」のですが、これは何か事情でもあるのでしょうか。気になって仕方がない。
商店街の終点へとやってきた。端っこにはフレッシュマーケットアオイなる小規模チェーンのスーパーが営業しており、多くのお客を集めていた。
この昭和町二丁目商店街は周りに大規模な商店街があるのもあってか、こちらの商店街はかなり規模も小さく、アーケードも100m少々と正直非常に短かった。しかし短い中にも一通りのお店はそろっており、「地元密着型」という面ではある意味理想的な商店街と言えるのではなかろうか。天王寺エリア含め、近隣との競合激しいエリアであることは否めないが、ぜひとも今後とも頑張っていただきたい、そう感じる商店街でした。