JR吹田駅周辺は駅を挟んで全く違う街並みが連なっているのがなかなか印象的な場所で、駅の北口にはアサヒビールの工場とその跡地に建てられた「メロード吹田」などの比較的新しい街並みが作られている一方、その反対側は昔ながらの街並みがこれでもかというほど残っているから本当に面白い場所だったりする。
そんなJR吹田駅の南側に位置する再開発ビルがこちら、「吹田さんくす」である。1979(昭和54)年の開業以来、現在に至るまで吹田市の中心的存在として街の様子を見守り続けてきたこの再開発ビル。今回は、この吹田さんくすについて、その概要と歴史、現状の様子について見ていくこととする。
築40年オーバー「吹田さんくす」
吹田さんくすは、JR吹田駅前に位置する再開発ビル。国鉄吹田駅前第一種市街地再開発事業により、1979(昭和54)年11月に開業した。既に築40年を超えており、周辺でもかなりの古株となっている。
建物は駅に隣接する1番館・イオン(地図上では「ダイエー」となっているが、イオンに転換された)を核店舗とする2番館・オフィスや公共施設などが入居する3番館の3棟により構成。2番館の上層階には住宅が併設されており、生活に必要なものを一通り網羅する構成となっている。
吹田さんくすの構想が最初に出たのは1966(昭和41)年のこと。当時、吹田市総合計画審議会が発足し、駅前再開発のおおまかな方針が出されたことにさかのぼる。その翌年には駅の南北を含む基本計画案が提出され、1975年には現地の民家の解体が開始。この段階では1978年の完成が予定されていた。
ところがこの年(1975年)、商業施設の当初の核となる予定になっていた阪神百貨店が出店を辞退。既に解体はできない段階に入っており、工事が進まないまま1年が経過。キーテナントにダイエーが入居することがようやく決定し、最終的に1979(昭和54)年になってから建物が完成したという。
過去存在したどこかのコンビニチェーンの名前を連想させる「さんくす」という施設名。この名称は「サン(太陽)」と「クス(市民の木)」とを組み合わせることで名称が決定した模様。決してパクったわけではないようで安心しました(笑)
建て替えの話が出ていない訳ではないが・・・
開業から既に40年以上が経過しているこの吹田さんくす。この状況下になると、やはり気になるのは「建て替え」の話だろう。同じ年に建てられた「たかつきグリーンプラザ」に関しては今のところ何も進捗なしという状態ですが(笑)、
この吹田さんくすにおいては建て替えの話が全く出ていない訳ではない模様。実際、大阪府の「市街地再開発事業の今後の展開に関する検討会(2011年)」という資料内において、吹田さんくすの再々開発(建替え)を行う際の課題と対応方策という議題が上がっていることがわかる。
しかし、これ以降建て替えの話が進んでいるかというと進んでいないのが現状。2015年に発行された「吹田市都市計画マスタープラン(2015-2024年)」においても、「都市拠点 JR吹田駅周辺」という項目においては、
JR吹田駅周辺は、各種の商業施設や周辺商店街の活性化の動きと連携を図りながら、商店街が地域コミュニティの核として地域になくてはならない存在となるよう商業機能の充実に努め、ふれあいと活気ある商業空間としての都市拠点の形成をめざします。
という文言に留めていることがわかる。これだけ施設が大きいと権利関係も複雑でしょうし、相当な時間と労力がかかるのかもしれませんね。
駅に隣接しすぎ 1番館
吹田さんくすの概要と歴史、建て替えに関する現在の状況について書いたところで、その中身へと入っていこう。まずは駅に隣接する1番館から。隣接というか、駅舎と完全に一体化してしまっていますが、駅ビルではありません。再開発ビルです。念のため。
2022年4月訪問時のフロアガイドはこんな感じ。1・2階に商業部分が、4・5階に公共施設やオフィスが入る構成。なお、3階部分には何も書かれていないが、実際はこの階にも賃貸オフィスが入居している模様だ。
さっそくその様子を見ていこう。先述した通り1・2階には商業フロアとなっており、1階・2階ともに多様なテナントが入居している。なんだかいかにも昭和っぽい雰囲気が流れているが、これはもう仕方がないだろう。非常に味のある風景だ。
階を上がっていこう。なんだかいかにもそれっぽい照明が置いてあるのがいかにも昭和の再開発ビルらしい。今となってはシックな風景となってしまっているが、当時の人からは憧れの的だったんだろうな。
なお現在はオフィスが入居する吹田さんくす1番館の3階だが、どうやら元々ここには「グルメタウン」なる飲食店街があった模様。しかし飲食店は全て閉店してしまったようで、現在の姿に落ち着いているんだとか。新型肺炎の影響がこんなところにも現れているとは、あなどれないですね。