先日、図書館を探索していたところこのような本を発見した。
「『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』(USJ)計画について」という本で、なんでも1996(平成8)年に書かれたUSJの建設計画に関する本らしい。本といっても20ページほどの、どちらかというと「議事録」的なものにはなるのだが、気になって実際に読んでみたところ、このときの計画と実際の結果には大きな相違があることが判明した。ということで今回は、この本から判明した計画と実際の結果の相違について見ていくこととする。
本の概要
題名:「『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』(USJ)計画について」
発行者:関西経済研究センター
発行年:1996(平成8)年6月
講演者:柳瀬隆氏 大阪市港湾局幹線道路建設事務所所長/前(株)ユー・エスー・ジェイ部長代理
この本は、かつて株式会社ユー・エス・ジェイにて部長代理にて指揮を執っていた人が講演を行った際の講演録として発行されたものとなっており、実際の講演ではビデオが上映されたそうだが、これに関しては未収録となっている。予めご了承ください。
土地利用方法から見る計画と実際の相違
本の概要について書いたところで、ここからは計画と実際の結果の違いについて見ていくこととしよう。まずは計画時の土地利用計画と結果としてどのような使い方をされているか、という点から。元々は「此花区西部臨海地域再開発」という形で開発が計画されており、大阪ガス・日新製鋼(現・日本製鉄)・住友金属(現・日本製鉄)・日立造船・住友金属・JR西日本・JR貨物・日本石油(現・新日本石油)などが地権者となっている中で156haもの土地を再開発し、その目玉として開業したという経緯を持つUSJ。その土地利用は、以下のような計画となっていた。
上の図の解説に入ろう。当時の計画としては、再開発地区を「USJ」「商業ゾーン」「複合ゾーン」「交流拠点ゾーン」「業務ゾーン」「供給ゾーン」の6つに分割。そのうち「USJ」「商業ゾーン」「複合ゾーン」「交流拠点ゾーン」を再開発し、「業務ゾーン」「供給ゾーン」に関してはUSJの持つ映像技術を使った産業の立地を図っていた(実現せず)。なお、JR桜島線の安治川口~桜島間は地下化する予定だったそうだが、こちらは実現には至っていない。
最終的に、開業時には4つのエリアに分割。現在テーマパークが営業する「USJゾーン」、商業施設やホテル、公園などが立ち並ぶ「交流拠点ゾーン」、映像情報産業やニュービジネス(と言いつつ実際は工場や配送センターが立ち並んでいる)「業務ゾーン」、そして住宅や緑地(の予定が実際は貨物駅や工場が並んでいる)「複合ゾーン」に分割・整備された。実際には「交流拠点ゾーン」に住宅が立ち並ぶなど、なかなかよく分からない状態となってしまっているが、USJがちゃんと営業しているあたり、悪くはないといえるのかもしれない。
USJの内部から見る計画と実際の相違
続いて、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのその中身の計画について見ていこう。これについては、写真を用いて説明させていただく。
USJ全体の外観としては、上の写真のようになっている。これに関しては土地の制限があったこともあり、ハリーポッターエリアの開業などの変わりようはあるものの、それほど大きく変わっている訳ではない。
全体的にはあまり変わりないように見えるこのUSJ。しかしその中身はどうなのかというと、その実状はかなり違うから面白い。
まずは赤い丸で囲まれた部分から。ラグーンの左側に位置し、2022年4月現在「シング・オン・ツアー」などが入る建物。こちらの建物にはキングコングのアトラクションが入る予定だったそうだ。よく見ると建物の大きさが今よりも大きくなっており、かなり規模の大きなアトラクションとなる予定だったのだろう。
続いて青い丸で囲まれた部分。こちらには映画関係のスタジオが入る予定だったそうだ。しかし、実際はそのような需要は少なかったのか、テーマパークの一部として「ウエスタンエリア」が整備、何度かの変更を経て現在は「ユニバーサルワンダーランド」というエリアへと移り変わっている。
最後に緑の丸で囲まれた部分。ここは計画通りラグーンが作られているのだが、当時はラグーン上で「爆発が起こる中をモーターボートが走り回る、ラグーン・ショーを行う」予定だったそうだ。おそらくこれは現在の「ウォーターワールド」のことだろう。実際は消防関係の問題があったからか、ウォーターワールド専用のスペースが作られた上でショーが行われている。
なお、1996年計画当時には上のようなアトラクションが「想定主要アトラクション」として議題に上がっていた。「ジュラシック・パーク」や「ジョーズ」といった、現在もおなじみになっているアトラクションがある一方、「コングフロンテーション」「アルフレッド・ヒッチコックの3Dシアター」などの聞きなれないアトラクションも出ている。
実際の開業時のアトラクション構成は上のようになった。計画通り実現した部分もあり、全く別の形へと変わった部分もあり・・・ 見ているだけで面白いですね(笑)
数値データから見る計画と実際の相違
最後に、数値データから見る計画と実際の相違について見ていこう。ここで一番注目しておきたいのは、USJの入場者数に関してである。
USJを語る上で欠かせないのが、元P&G所属で様々な仕掛けを施し、「V字回復」ともてはやされた森岡毅氏の存在。そしてその際によく用いられるのが、上のようなグラフである。このグラフを説明する際、
「USJの入場者数は長年低迷していたが、森岡氏が様々な仕掛けを施したことで大きく入場者を伸ばした」
という言葉が必ずといって良いほど用いられている。
しかし、入場者数に関しては以下のようなコメントが残されている。
入場者数については、一応約800万人をめどにかんがえています。ただ、施設容量としては1,200万人までいけるレイアウトになっています。
ここで、先ほどのグラフを確認してもらいたい。「低迷」を言われてはいるものの、実際は800万人程度の入場者はいることがわかる。要するに、USJ開業初期の入場者数は決して「低迷」ではなく、予測通りになっただけだといえるのだ。
まとめ
2001年のオープンから実に様々なことがあったUSJ。様々なカベを乗り越え、ハリーポッターエリアの開業、フライングダイナソーの建設、そしてマリオエリアの開業。何やかんやいろいろとあったが、こうして今日も立派に営業しているのは本当に誇らしい限り。これからも大阪を代表する施設として頑張って頂きたいですね!!